alpinum’s blog

根暗の掃き溜め

Oisixを試しにはじめてみた記録①

# 経緯

ひとりで暮らすようになって久しい。最初は寂しさや面倒くささなどがあったけれど、それらも全てひっくるめて生活の一部になった。ただ少し不満が残る部分があった。食事だ。

最寄駅に激安なスーパーがあったおかげで自炊での節約生活は捗った。週末に作り置きしたり、冷凍食品を詰めたお弁当を持って行ったり色々と工夫してきた。料理自体は嫌いじゃないからそれなりに楽しんだ。だけど段々飽きてきた。シンプルにめんどくさいのだ。

週末になるたびに鶏肉や豚肉の作り置きのレシピを調べる。材料を揃えにスーパーに行って調理する。しかしシンクのフチにまな板をバランスよく置いて調理をしなければいけない環境なので、気を抜くとすぐに食材がひっくり返る悲劇が起きる。そうして段々料理が億劫になり始めていた。母が実家からレシピ本を送ってきてくれたりもするが、狭小住宅ではレシピ本を広げられるスペースもない。結局適当に炒めて調味料を加えるだけになるのだ。

そこで思い出したのが実家での食生活だった。母は料理が好きでは無いなりに頑張って食卓を彩ってくれた人だった。だけどある時からOisixを始め、Oisixのキットで気合を入れる日と、とりあえずうどんだけ茹でたみたいな日に分かれるようになっていっていた。とにかくOisixの美味しさは知っていたし、楽さも知っていた。これを使えば良いのかと思い至るのに時間はかからなかった。

たしか初回は安かったはず、でも会員登録したら定期購入しなきゃいけないっぽいのはすごく躊躇う。一番のネックはコスト面だった。じゃあ実際家計がどれだけ変わるのか調べてもあまりピンとこない。Oisix自体が単身者向けじゃ無いのだろう。だけど私は楽に美味しいご飯を作りたいし、日々の食事が将来の身体を作るのなら投資と思って始めてもいいかもしれない。というわけで他に自分みたいな人がいたら参考になればと思い、記録として残すことにした。

# これまでの食生活

基本的に毎週末にスーパーへ買い出し→1週間分の食事を1品作り置きするというのがルーチンだ。朝は必ず卵かけご飯。週3〜4日は作り置きの品を夕食に食べ、残りはパスタを適当に茹でたり焼きそばを炒めたりする。夏場に差し掛かり保存状態に若干の不安があるが、これまで培ってきた胃袋の強靭さを信じて乗り切っている。真似はしない方が良いし、私は責任を取れない。

毎月の買い物リストは下記の通り。大体これで週2,000〜2,500円程度に収まっているので、毎月の食費は10,000円にプラスでコンビニの買い物費用がかかる算段だ。(なおコンビニに毎月1万円近く費やしてるので反省したいとは思っている)

ちなみに米は楽天で5kg2,500円の無洗米を2ヶ月に1度くらいのペースで購入していた。ただ最近は母が実家の余りを送ってくれるので購入していない。

  • 鶏肉か豚肉400gくらい
  • トマト
  • レタス
  • (必要であれば)玉ねぎ/にんじんなどの野菜
  • パスタソース
  • (飲みたいときは)牛乳
  • 卵10個パック
  • 冷食3種(お弁当用)
  • 春雨スープの買い置き

# 初めての注文

初回注文は1,980円(税込)のセットを利用した。一番期待したのはOisixキット。レシピと材料が全てついてきていて、届いたら袋の中の材料から作るだけで良い。良さしか無い。

時期によってついてくる商品は異なるみたいだが、私が受け取った中身は下記のものだった。サイトの画像を引用しようと思ったが、無断転載にあたるのが怖いので箇条書きにて失礼する。

  • Kit2人前(そぼろと野菜のビビンバ)
  • マイルドタンドリーチキン
  • Oisixオリジナルブレンドリーフ
  • みつトマト
  • たつやのにんじん
  • かぼっコリー
  • じゃがいも
  • 牛乳
  • たまご(6個)
  • 国産旨塩のり
  • 油揚げ
  • ツナフレーク(パウチ)
  • コーンスープ(パウチ)
  • はちみつりんご酢
  • こだわり極プリン

計15品で、5,000円相当(うろ覚え)の商品が2,000円程度で購入できるなら安いだろう。Kitのビビンバは2人前だったが、結局3日かけて消費した。残りの平日2日はというと、マイルドタンドリーチキンを焼いて食べたので、平日1週間を問題なく過ごすことができた。

どれも美味しかったけど、結局まだ全部消費はしていない。届いた商品のうち、旨塩のり以降の6点はまだ残っている。キットの食事に野菜を食べたら十分なので、使い所に困っている。ちなみにじゃがいももまだ手をつけていない。生で食べるわけにはいかないけれど調理するにも使い所がなく……。にんじんも残ってるしカレーでも作ろうかな。

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Oisix Kit-ビビンバ

とにかく良かったのはKitの材料がある程度カットされていることだ。自分で切らなくてはいけない具材もあるが、全部じゃ無いだけ楽である。シンクのフチで重心に気をつけながら包丁を下ろす日々はもうごめんである。

とりあえず初回キットを購入してすぐの間はクーポンなど特典がついてくるので、定期コースの登録をすることにした。ついてきた特典は以下のようなものだった。

  • 5,000円以上の注文で使える1,000円引きクーポン3つ
  • 初回購入時にKit1点プレゼント
  • 開始して3ヶ月は4,000円以上購入で送料無料
  • 牛乳とか飲み放題1ヶ月無料(通常1,408円(税込))

※牛乳とか飲み放題・・・1ヶ月1,408円(税込)で注文するたびに3品まで無料で対象商品を購入できる。また野菜や果物が20%程度割引される。

# 2回目の注文

入会クーポンが5,000円以上の注文で使えるので、割とガッツリ買い物をしてしまった。割引後の金額は合計で4,509円だった。クーポン利用と牛乳とか飲み放題の価格(毎週注文すると仮定して352円/回とする)を込みにするとトータルで5,861円だ。

なおこれに加えて愛用しているスーパーで冷食やトマトなど1,171円分を購入している。

  • Kit2人前(豚と野菜トマト煮)
  • Kit2人前(ホイコーロー風豚炒め)・・・★
  • Kit2人前(トマト肉じゃが)
  • Kitプレゼント(蒸し鶏のサラダ)・・・★
  • 銀ひらすの切り身・・・★
  • Oisixオリジナルリーフ・・・★
  • 玉ねぎ3個
  • きのこミックス
  • 【牛乳とか飲み放題】牛乳1L・・・★
  • 【牛乳とか飲み放題】卵6個・・・★
  • 【牛乳とか飲み放題】ツナフレーク

正直これは1週間で消費できない。★をつけたものは1週間で食べ切る予定だが、とりあえず他のは冷凍するなりしている。2人前のキットと肉もしくは魚のパウチで1週間は余裕で過ごせることがわかったので、賞味期限と冷凍庫の問題さえなければこれで2〜3週間は暮らせる気がする。

あとは牛乳とか飲み放題のサービスは無料期間が終わったら使わないと思う。いつものスーパーで卵は@200円、牛乳@170円で購入できる。合計で370円なので毎週注文すれば元を取れるものの、送料無料にするにはまとめてそれなりの量を購入しなくてはならない。6,000円がそのラインだが、そんなに食べられないし冷凍庫も大きくはないのだ。送料600円をかけてでも毎週注文するくらいならスーパーに行く。美味しいのは確かだけど、いつもの卵や牛乳が特別まずいわけではないし。野菜とか果物の値引きを加味しても隔週利用が前提だと微妙な印象。

(完全に余談なんですが最近卵高くないですか?半年前は10個パックを@150円で買っていたのに……)

# 現状のまとめ(始めて2週間地点)

## コスト

<初週>

  • Oisix初回キットの購入 1,980円
  • スーパーで買い足し 1,123円

<2週目>

  • Oisixで色々と購入 4,509円
  • スーパーで買い足し 1,171円

## わかったこと

  • 自宅の冷凍庫に冷凍のKitは2個までなら入る
  • 2人前のKitで3日程度、チキンや魚で2日程度は過ごせる
  • Kitがあればじゃがいもなどの野菜単品は注文しなくても困らなそう
  • 5,000〜6,000円購入すれば3週間分くらいにはなる
  • リーフが美味しい、リーフに限らずとにかく味は良い
  • 牛乳とか飲み放題は毎週注文しないならコスパ微妙そう
  • 健康への投資というならいくらまでかけて良いかは決めておかないと検討しづらい

容姿の劣等感

いま自分のなかに何重もの思いが渦巻いて騒がしいのはなんでだろう。そう思い返すと確実にきっかけはあった。祝日で暇だったからとなんとなしにアマプラで観た映画の「累」。漫画の実写化ということで原作も読んでもいないのに敬遠していたけれど、気付いたら引き込まれていた。土屋太鳳さんと芳根京子さんの美しさもさることながら、劣等感というものが自分に深々と刺さったのだ。女優さんが綺麗だから正直傷くらいと思ってしまった瞬間もあるけれど。

人間は視覚で得る情報が多いらしい。だから容姿に厳しいのかとたまに思うが、中でも子供というのは残酷なまでに敏感だ。可愛ければ学校でちやほやされるし、整っていなければサンドバックとして標的にされやすい。世の中には可愛くなくても性格の明るさで尊重される子もいるけれど、あれは本当にすごいと思う。普通ならあの境地にたどり着く前に性格が暗くなる。そもそも美醜で人を判断するのはナンセンスだが、その議論はいったん置いておきたい。実際に容貌で人間の待遇は変わってしまう社会なのだ。感じたことがない人はそのまま幸せな人生を送ってほしい。

おかげで私ははてなブログで心情を吐露するしかないほどに陰キャになった。きっと可愛かったらバッチリ決めた自撮りをインスタにあげて前髪決まらないぴえんなんて書いたり、友達と遊びに行くたびにストーリーによくわからん動画を載せられただろう。そして辛いことがあれば匂わせつつ誰かに連絡してお酒を飲みに行くのだ。

やぼったい奥二重に肉厚な頬。努力すれば可愛くなれるかもしれない。でもそれほどの気力もないどうしようもない人間なのだ。病は気からというように、自分を下げれば下げるほど実際の自分にも跳ね返るからあまり下げないように気をつけてはいるけれど、染み付いた考え方というのはどうにも自分について回ってしまう。だって小学生の時から気にしていた。絆創膏をアイプチの代わりにして二重にしようとしたり、痩せようといろんなダイエットも試してみた。ふみコミュやニコプチが私のバイブルだった。……いや、全然続いてなかったわ。とはいえ疲れてしまったのは事実である。どう工夫を凝らしても自分は橋本環奈ちゃんみたいな美少女にはなれない。いや、そもそも誰かが頑張ってなれる美少女なら美少女の希少性が減って美少女ではなくただの少女になるのだろうか?それは今はどうでもいいか。

結局自分は可愛くも美しくもなんともない一般市民Aにしかすぎないけれど、生きていくことはできる。それに歳を重ねると一周回って自分が愛おしくもなってくるものだ。少女漫画のように目の覚めるような恋愛はできなかったし、通りすがりの人に嘲笑されたかもしれないという被害妄想に取り憑かれたままだけれど、自分が自分という器に生まれたのは紛れもない現実なのだ。だからせめて自分のできる範囲でも自分を労ってあげたい。そう思ってそれなりの自分磨きはしている。足りないのは運動だろう。……やろう。

しかしぱっちりとした二重に小さい顔、無駄のない鼻にすっとした輪郭はどう足掻いても手に入れがたい。するとしたら整形か遺伝子ガチャのやり直しくらいか。整形もなんだかんだで元から整っている子がするから可愛くなるんだよなと思うとやるせない。最近は目鼻口が揃ってるだけでみんな可愛く見えてくる始末だ。いや本当に最近の日本人女性可愛くない?休みの日にお出かけして買い物する先々で待ち構えている店員さんがみんな可愛い。マスク文化を差し引いても可愛い。そしてそんな彼女たちと比べて可愛くない自分は馬鹿にされているんじゃないかと怖くなって買い物に行くのが億劫になる。ルミネに入っているようなお洋服屋さんで買い物したいけれど、店員さんとの関わりが怖くてもっぱらGUかユニクロで買い物をしている。ついにはデパコスのカウンターがあるフロアに近寄ることすらもしなくなった。しかし顔で判断されてるのではないかという恐怖は、自分も人を顔で判断している事実の裏返しに他ならないから恥ずかしい限りだ。

きっと顔に自信があれば性格も明るくなったし仕事の選択肢も広がったんじゃないかと思う節がある。就活では顔採用が囁かれるような会社が怖すぎて近寄りもしなかった。しかし最も問題なのはこうして顔に原因を帰結させようとする自分の性根なのだとわかっている。認めたくないけれど、どうしようもない自分は努力しない言い訳に生まれ持った顔を矢面に立たせているのだ。ごめんね、自分。

容姿に劣等感を持たなくて良い社会になったらどんなに素晴らしいだろう。だけど人は弱いから他者と比べて落ち込んでしまうものなのだ。容姿が比較対象じゃなくなったら、今度は別のところで落ち込むことになるだろう。見た目という上っ面の部分で済んでいるだけ、まだ良いのかもしれない。内面まで斬り込まれて努力できない不誠実さを指摘されたとしたら、今度こそ私は本当に立ち直れない気がする。でもでもだって。そう続けたいけれど、まともな反論は思いつきそうにない。どこで間違えたんだろう。みんなと同じ道徳の教科書で健全な精神を教えてもらったはずなのに。努力は尊いし正しい。だけどそれをできない自分の性質も尊重されたい。とても贅沢なわがままなのだろう。みんな違ってみんな良い。それならダメな自分を受け入れてくれる社会の土壌があってくれても良いじゃないか。

……ううん、別にできない自分でも良い。だけど人並み以上のお金を稼いで生きていきたいなら努力するしかないのだ。だって周りの人はみんな努力ができるのだから。しなくても良い世界はある。けれどしないといけない世界を選んで身を置いているのは自分だ。あーあ、現実見よ。

なにも出来ない自分の手慰み

今日は風が強い日だった。10分くらいしか外に出てないけれど。暖かくなってきたからとパーカー1枚で買い物に行ったらえらい目にあった。

ブログを作って最初の記事って何を書けば良いかわからない。ちょっと気取って天気のことを書いてみたけれど、職場のあまり仲良くない人からの挨拶のようで面白味もない。せっかくだから自分のこれまでの経緯を語るのが良いだろうか。

こうしてパソコンに向かって独り言を垂れ流そうと思ったのは、ひとえに消化しきれない自己愛をどうにかしたいと思ったからだ。自分には誇れるものがない。なにかしらの光る能力も、我慢強さも、努力を重ねる誠実さもない。こうやってブログを書き始めるのも何回目だろう。継続は力なりと過去の人は言ったけれど、たしかにその通りだ。続けることは本当に難しい。このブログだってこの記事だけで終わるかもしれないし、正直なところ人に読んでもらうほど面白い文章を書けるだけの引き出しがあるわけでもない。だけど文章を書いて自分の気持ちを己の腹の中に落とし込みたくなってしまった。そしてそれを誰かに知って、認めてもらいたかった。

だって気持ちの整理をつけるだけなら手元の綺麗なノートに書き連ねるだけでも十分なのに、わざわざブログにしてまで世界に向けて公開するのだ。自己顕示欲がなければそんなことをする理由がない。無いものねだりをする自分を身近な人に晒すのは躊躇われる。でも自分の外向きの顔を知らない人になら見られても恥ずかしくない。だからこそ遠くのどこかにいる誰かには自分の内面を知って認めて欲しい。私は特定の宗教への信仰心はないが、これはある種の告解に近いものかもしれない。

こうして自分の心の中を文章に書き連ねるのはとても気持ちが良い。胸の真ん中に渦巻くモヤが指先から溶け出していくようで、文字数を重ねるごとに憂鬱さが取り払われるのだ。たぶんこれは居酒屋で友人に愚痴をこぼすときの感覚に似ている。実際の自分は人に対して心の内を全部吐き出せるわけでもないから、匿名の仮面をかぶることのできるネットで文字を泳がすことにしているわけだけど。

別に信頼できる友人がいないわけではない。強がりに見えるかもしれないけれど、大切な友人や親身になってくれる恋人もいる。だけどひとりで自分自身に向き合うのが一番のように思えるのだ。きっと特別なことなんかじゃない。この記事の向こう側にいる誰かも同じだろう。

この自分の性質がいつから始まったものかはわからない。遺伝的なものかもしれないし、環境的なものなのかもしれない。遺伝であれば自分ではどうしようもできないが、環境だとしたらそれは確実に中学時代に形成されたものだと断言しよう。公立中学校というのは世間一般でも魔境だと揶揄されることが多々あるが、自分が通っていた中学校も例に漏れずそうだった。比較的良識のある人間が多い環境であったとは思うものの、それでも青年期の未成熟な正直さがゆえの言葉や行動に傷つけられる立場だった。この文章をここまで読めば言わずともわかると思うが、陽キャ陰キャかで言えば圧倒的に陰キャだし根暗だ。そして顔も可愛くない。不登校になって追い詰められるほどいじめられるということは無かったものの、スクールカーストで言えば下の下もいいとこ。常に誰かが自分を見て馬鹿にしているように思えていたし、自分に向けられた褒め言葉は直接貶すよりも傷つくからだと知っていた。

そんな自分が外に向けて怒りの言葉を叫ぶことなんてできるはずもなく、鬱屈した気持ちを心の中でため込むようになった。心の中にため込むためには言葉がいる。わけのわからない負の感情を乱雑にストックするよりも、自分の中で折り合いをつけた方がスッキリするからだ。ざっくり例えるなら、箪笥へ洗濯物を適当に投げ込むよりも、ちゃんと畳んで入れてあげた方がたくさん入るという理屈である。

幸いにもその頃の私は読書が趣味だった。本の虫だった両親の影響である。おかげで心の中にため込むための言葉の引き出しはそれなりにあった。その頃に読んだ本の内容はあまり覚えてないけれど、たぶんこうして書き連ねている文章にその名残があるのだと自分は思っている。こうやって思いを昇華する手段を得たわけだから悪いことでは無かったし、自分の糧にはなったと思う一方で、どうにもできない自己愛はこの手段によって育てられてしまったのかもしれないと感じることがたまにある。

良い外面で接していながら内心では唾を吐く。自分ではしているつもりがないのだけれど、振り返れば学生時代の自分は他人をどこか見下していたように感じる。なんにもできないのにね。高校生なんて今の自分が最強だと疑わない節があると思うから、自分に限った話ではないのかもしれない。

苦汁を舐めた中学時代。悔しさをバネにして高校にはそれなりに良いところへ入学することができた。優秀な友人や先輩に恵まれ、彼らのことを本当に尊敬していた。一方で尊敬できないと思う人へは内心で冷めた目をしていたと思う。なにもできない自分を認められないまま、優秀な周りの人間と自分を同一視してしまい、結果として根拠のない自己愛だけが育った。大学はそんな自己愛が邪魔をしてろくに友人も作らなかった。別に友達100人作りたいという性格でもないから、信頼できる人がひとりふたりいれば良い。ただ単純に、人脈というものを大切にしていたらどうなっていたかなとたまに夢想することがあるくらいだ。

いまの自分は日本のどこかにある会社でひいこら働くいち社員にすぎない。社会にでたばかりで大したことのできない無力さと、今まで自分が根拠なく信じていた理想像とのギャップに苦しんでいる。まともに努力もせずになんとなくで学生時代を乗り切ったせいだろう。大人になってからの苦労は学生時代に感じるものより苦しいだろうか、どうだろうか。そもそもいまの自分は人間が社会的に区切った分類の中では大人なだけで、本当に大人になれているかどうかすらも怪しいけれどそれはいったん置いておこう。わからないけれどせめていまの自分の苦しさがいつかの自分の糧になってほしい。そしてこの苦しみを適当に放置しないでちゃんと自分の中に落とし込んで未来に繋げよう。自分自身の種になるし、きっと自分みたいな誰かの参考にもなったら嬉しいと思う。

 

本当はこんな自戒じみた言葉を連ねる気はなかったのだけど、気付いたら妙なことを書き綴ってしまった。実を言うとかつてtwitterで見かけた呟きにはっとしてブログを書こうと思っただけなのだ。なんてことのない生活の記録も後世の生活・風俗的資料になるかもしれないという言葉。文学的素養のない自分でも何かしら残るものを書けるのではないかという淡い期待をしてしまった。心情を書き綴るのは好きだ。だから最近では二次創作をしたりして欲求を満たしていたのだけど、単純に妄想のネタが尽きた。だから次は自分を切り売りしてみようと思った次第だ。

次は何を書こうか。こうして記事を見返すと意外にネタになりそうなものはある。全ての原因を顔に帰結させる自分のクソみたいな性根や、これまで読んだ本で自分の思想の元になった部分。まああとは単純に生活をそれっぽく書くのもいいだろう。趣味のない自分の休日は本当に暇だから、土日祝は何かしらの文章が書けたらいいな。続けばの話だけど。